コンテンツという家庭の中の暴力(あるいは「好き」を積み重ねたいという私信)

タイトル通り。

最近色んなコンテンツ(主に音楽系)をふらふら彷徨って思っていることの話。

 

「好きなもののことを、けなしたり、反射で軽いコメントをしたり、悪く言うのは、愛情に見せかけた暴力だ」

……結局、相手に自分なりの相手の理想像を結んでいて、それと違うものがあるから、その差分でネガティブなコメントが出てくるんじゃないか、って思うんですよ。良くても悪くても意見を言いたいだけ。自分が好きだから色々好き勝手に言っていい、というフレーズの「好き」は前者と後者で微妙に違うし、はき違えてはいけない。

それが過剰にエスカレートしていくと、傍から見れば「このコンテンツのファンは怖い」「距離を置こう」となるのも仕方がないことなのかな、と思ってしまったり。事務所やマネージャーがきっちりしていればある程度の統率が取れるかもしれないけれど、なければないで、段々と誰もいなくなっていくんだろうなあ、という想像ができるから怖い。

もちろん、例えば10年くらい活動していたグループのメンバーがソロに転向して、しばらくはソロでライブやります、とかだったら、急には納得できないかもしれない。

それでも、ソロとして積み上げていきたいライブに、過剰に差分からのネガティブコメントばかりが積み重なって残っていくような環境だったら、果たして新しいものを積み上げていける? ふと通りかかった人を誘い込むことはできる? 「この人と一緒に仕事をしよう」と思える?間にマネージャーや事務所が入っていればまだクッションになるかもしれない。それがなかったら?

該当者、ごめんね、お疲れ様。当時の私にもっと力があればよかったね。

今、各種コンテンツがネットメインになるのを見ていて、お互いそういう過激なコメントに触れてしまう機会がどうしても多くなって、はじめましての人たちに、本人たちに、時折ごめんね、と思ってしまいます。私がつらい思いをしているなら、クッションなくコメントに触れてしまう本人たちの思いはいかばかりか。

過激で過剰なそれらから、深い意味を求める必要はないんだって。

 

あと、コンテンツカルチャーの世界は、往々にして「ご意見を数多く送ればなんとかなる世界」ではない。一介のファンが思いつく程度のことは、本人たちや事務所・マネージャーさんが思いついてるだろうし、その行動にうつさない、ということは、「何らかの理由でできない・やらない」と考えるべき。目につくコメントがあっても拾われないとはそういうことですよ。本人たちがはっきり断るか、断らないかにはそれぞれの方針や人間性が色濃く出るとは思うけど。

 

私は、「あるコンテンツに対して、苦痛や否定的な意見の量が快楽のそれを超えたら、それはもう自分がターゲットではない(ので、潔くファンの立場から降りる)」という付き合い方をしています。

本人たちの行動ではなく、応援する人たちの行動が苦痛や不快になって「好き」であることをやめてほしくない。今の私の祈りです。