あるいは夢眠ねむ(という概念)が引退することへのサクシード

予期せぬことは、いつも唐突にやってくる。

 

 


真っ先に思い浮かんだのは写真集「peppermint」のことだった。確かあれは土岐麻子さんの「PINK」もしくは「HIGHLIGHT - The Very Best of Toki Asako - 」と一緒にタワレコオンラインで買ったやつ、だと思う。買ってぱらぱらめくったけど、そこには思ってたものと違うものがあって、それ以来開いてなくて、そろそろ中古に回して売るかー、なんてぼんやり思ってたところだった。ごめん。

 

ねむきゅんと初めて出会ったのは下北沢のヴィレッジヴァンガードだった。雑然とした店内で、CDコーナーにたどり着いて、流れていた映像は「でんでんぱっしょん」。「楽しいことがなきゃばっかみたいじゃん!?」って画面の向こうで言ったねむを、今でもよく覚えてる。当時の私はほんとうに楽しいことがなかった。なかったんだ。

 

それからあれよあれよという間にアルバム:WORLD WIDE DEMPAが発売され(初回盤は売り切れてて、定価よりかなりふっかけられたものを愚痴りながらamazonで買った記憶がある)、ちょうど前後してハマったさよポニちゃんの「ぼくらの季節」のMVを手がけていたことを知り、さよポニともどもものすごい勢いで傾倒していった。

この類の話題になるとどうしてもやり玉にあげてしまうのがRAG FAIRで、彼らはちょうど2013年の夏に「5人でやっていく」という決断をしたのだった。活動休止の時は平然としていたのに、その時はさあっと、潮が引くように離れていった。抜けたメンバーはベース担当で、アカペラグループからベースメンバーが抜けて、補充もしない、ということは、今までのような歌が、エンターテインメントが、ほぼ再現不可能になる、という決断と同じように思えた。忙しいこともあって、当時のファンクラブを更新するのをそれを機にやめてしまった。

 

きっと、私にとって、そんな穴にうまくはまったのがでんぱ組.incだったのだろう。毎日・毎晩のように公式MVを見たり、DVDを再生したり、ゲーセンででんぱ曲をプレイしたりしていた。BEMANI勢だった私がグルコスに手を出したのもでんぱ組.incがきっかけ*1だった。

 

その中でも、ねむがやっぱり好きだった。それまで高身長のアイドルといえばAKBのツインタワー(宮澤佐江秋元才加)が有名で高名で、もちろんそれはそれで素敵だったのだけど、やっぱりどうしても「かっこいい系」だった。それをねむががらっと変えてくれた。170cmだけどかわいいアイドル服やアルティメットセーラーを着てくれて、それがどれだけ救われたことか。身長の都合でポジションはいっつも同じような場所になってしまうことはわかりきっていたけど、それでも、それでも「170cmのアイドル」ということは誇りだった。

誕生日にもイニシャルにもふんわりと共通点があって、それもいっそう私の親近感を高めてくれた。iTunes Storeで一番最初に買ったのはVelvet Peach Sevenの「Important feat.夢眠ねむ」だったし、でんでんぱっしょんもサクラあっぱれーしょんもねむ盤がきちんと家にある。

ねむと、他の私が好きなものがゆるやかにつながるのも嬉しかった。土岐麻子さん、さよならポニーテールしょこたんたむらぱん。そしてまだまだヒャダインさん監修・提供の曲も多かった時期で、ことあるごとにおいしい思いをしてたのもよく覚えてる。逆にねむ始点で色々知ったのもあったり再認識したのもあったり。

 

そんなでんぱ組.incのライブにはじめて行けたのは2016年3月3日、GOGO DEMPA TOUR NHKホール。ライブはすごく久しぶりで、結構長いこと楽しみにしていたんだと思う。

アイドルのライブがはじめてで、私にとってはカルチャーショックな1日だった。お昼からの物販では並びながらずっと黒ウィズをやっていて、並ぶのに飽きた前の男性がだんだん苛立ち始めたのがみていてよくわかった。話しかければよかったりしたのだろうか。

きっとここら辺の時間帯だったと思う、カードの勧誘の人にも捕まって、やんわりと断れども断れども話が終わらなくてすごく疲れてしまった。お昼から並んでただでさえ疲れてたのに、追い打ちをかけるようにげっそりした。

開演前、ホールの前ではメンバーのコスプレをしていた人とか、檸檬色の口上を配っていた人とか、とにかくとりどりだった。びっくりした。

肝心のライブは……正直言って、申し訳ないことにあまり楽しくなかった。近くの席の人が某メンバー単推しの、平たく言えば厄介客で、とにかくMCに入れる合いの手が最悪で、邪魔だった。スクリーンに映ると思っていたメンバーも映らなくて、3階席からはメンバーが、バンドがとてもとても遠く感じた。途中から「周りの人はこのライブを本当に楽しいと思っているんだろうか」と考え始めてしまって、ライブに全く集中できなかった。ライブ映像を見たことがなかったからコールも全然わかんなかったし、有志の方が配って下さった口上は、結局最後まで使うことがなかった。

アンコールでNHKホールだからってペンライトを紅白にして、「いくぞ、紅白、でんぱ組」ってやってたのも、違う、と思った。紅白って必ずしも今の時代の音楽の全てじゃないし、でんぱ組.incが紅白に出るのって、目指すのって、私の感覚からすると、有り体に言えばベクトルがずれている気がした。

 

そんなこんなで、ライブを機にでんぱ組.incからはすっと身を引いた。ライブに行くと応援できなくなるアーティストもいるのだな、ということを知った。注文していた「GOGO DEMPA」は封を切るだけ切って、ブックレットのカッティングに金かかってんな、と思って、多分一度も聞いてない。

 

そのあと5月に本多劇場でのRAG FAIR公演があり、私はずぶずぶとRAG FAIRに戻っていくことになる。私がでんぱ組.inc自体にお金を、時間を回さなくても、誰か、それこそ他人に迷惑をかけるほど大きな声でNHKホールで叫ぶような誰かが、でんぱ組.incには既にいて、コールも全くわからない私に居場所はないことを、2016年3月3日に私は痛いほど実感してしまった。

それでも手元に「Peppermint」があり、「VOCALOID 夢眠ネム」があり、グルコスでねむ称号を取ったりしてるのは、でんぱ組.incとそのファンのことを嫌いになってしまっても、やっぱり、どうしても、ねむのことを嫌いになれなかったからだと思う。夢眠ねむは、私にとっての、多分最後のアイドルだった。

 

もがちゃんが抜けた日、こういう記事を書いた。「6人から5人になる」ということで、やっぱり黙ってはいられなかったし、当時あんなに聞いた「W.W.D」シリーズに、もう完全な形で息を吹き込めることはできないのだと思うと苦しかった。「メンバーが減る」よりも「歌が死ぬ」ことが、私にとってはつらかった。もう一度書くと、歌があってもそれに生命が吹き込まれないと、「歌は死ぬ」んですよ。

 

そして、12月の大阪城ホールねもぺろが加入して、いよいよ私の知ってるでんぱ組.incは遠く消え去ったな、と思った。とはいえ最近ようやく落ち着いて、7人体制のナタリーのインタビュー記事とか漁って、ぺろちゃん色々大変やなあ*2、そういやアルバムも出るぞー次は買ってもいいかなーとか思ってたうちの今日だった。

 

でんぱ組.incを追ってた時期を振り返ると、どうやら当時の私はすごく生き急いでいたように思う。ああ、音楽の好みって、こうやって生活とリンクするんだな、って実感する。最近聞く曲からでんぱちゃんの曲を照らしてみると、「はええな……」ってまず思うもん。

 

17時半に発表があって、日常生活の傍らでこれを書きながら、今はだいぶ落ち着いた方だと思う。とはいえ、「しんどい」と「悲しい」と「さびしい」がぐちゃぐちゃになって、ああ、今までどうしても感情移入できなかったけど、「推しが引退する」ってこういう気持ちなんだな、って実感してる。とはいえ引退しないって宣言して、細々と活動するようなグループも、少なくともひとつ大変よく存じ上げてるので、どっちが幸せなのかどうかはよくわからないけど。

 

気づいたけど、ねむが引退することによって、(少なくとも現時点では)でんぱ組.incは「メンバー全員が本名で活動する」グループになるんですね。ねむが最後の砦だったんだ。泣いちゃう。

 

私がお願いなんてしなくても、夢眠祭には人が集まるだろうし、1stアルバムは売れるだろうし(私も買うし)、武道館だって完売になる。まろやかな狂気の再販だけはお願いしたいけど、多分彼女のことだからきっとしないでしょう。

 

ああそうだ、最後にひとつ。

ねむの誕生日、「7月14日」ってね、何の日だか知ってます?

フランス革命の日、で通じるかしら。正確にはバスティーユ牢獄襲撃の日。世界史……近代史にとって、大きな大きな、とっても大事な日なんです。

 

ねむ、「ここから、そしてこの日から、夢眠ねむの新しい時代が始まる」から、気をつけていってらっしゃい。今までおつかれさま。ありがとうね。

 

おまけ)

 

ねむバージョンは「サクラあっぱれーしょん (初回限定 夢眠ねむ盤)」とソロアルバム(11/21発売予定;リンク掲載済)にあるよ。

*1:http://nesica.net/news/detail/?nid=194

*2:7人体制初期当時兼任していた「ベボガ!」(虹のコンキスタドール黄組)が2018年9月で解散